下請け
まいど samoです
指定時刻に事務所にいくと 同年代くらいの人がすでにトラックにのって待ってました
軽く挨拶をして助手席に乗り込みました
「なんじゃこりゃ〜」
わたしはゴミだらけのトラック🚚に驚愕しました
コーヒーの缶 ペットボトル 山盛りの灰皿
弁当容器 ラップの芯 ぐちゃぐちゃになった制服らしきもの ゴミゴミゴミのやま カッパ 長靴 異様な臭いがします
頭が痛くなりました
帰りたい 一刻もはやく帰りたい そんな気分です
途中 タバコを買うためコンビニによることになりました
コンビニに到着した途端
「悪いけど 1,000円貸してくれん?」
なんで?
初対面ですよ?
ひょっとしてタバコ代無いのか?
どう見ても30代でしょ?
うそだろ?
「ぜんぜんいいですよ」
わたしは心とは裏腹に笑顔で答えました
「いゃ〜 今月ピンチでさ」
さすがに少しだけ恥ずかしそうにしてましたが
そこから 15分位走ると現場に到着しました
なんとそこはある路線便のとある会社でした
路線便ってわかりますか?
宅急便みたいなもんです 皆さんから集めた荷物を自分達のセンターで降ろし 夜中に配達先のセンターへ そこで配達します
原材料 建築関係 食品 ドラム缶 電化製品
なんでも運びます
いわゆる 中ロッドの貨物です
貸し切り便ほどにはならない荷物ですね
有名ドコロだと 西濃 フクツウ 第1貨物 新潟運輸 オカケン ニットラ トナミ
こんな感じです
売り上げ500億前後のスケールです(西濃以外)
はっきりいって全然儲かってません 悲惨な状態です
いつ 潰れてもまったく驚きません
なにもかもボロボロ 設備投資? そんなことする余裕 まったくありません 時代から30年遅れてます やる事と言えば 人件費削減 それのみ
それが 500億前後の路線便の現実です
この潰れた事で有名な路線便の?
しかも その下請け?
わたしは呆然とみんなの仕事を眺めていました
当然合格
まいど samoです
行きたくもない小さな運送会社に電話を嫌々かけました
面接をお願いしますと伝えました
指定日になって小汚い小さな事務所に行き
おそらく社長であろうひとに履歴書を渡しました 履歴書をみて私が佐川急便に12年間在籍していたと知り驚いていました
何か質問はないかと言われましたが こんな所はすぐに辞めるんだから条件なんかどうでもいいと思っていたので 何もありませんと答えました
給料はいくらだとか 休みはあるかとか 仕事内容など本来なら面接のときに聞かなければいけないことが山ほどあるはずですが わたしはそれすら拒否していました
しかし 合格です
明日 朝6:00にここに来てくれと
職場まで連れて行くからと
わたしは力無く頷きました
燃え尽き症候群
まいど samoです
佐川急便を辞め しばらくフラフラ遊んでました
全くなにもやる気が起きないんです やる気も元気もまったくありません
貯金を食い潰す日々が続きました
毎日 散歩ばかりしてました
近所の人が見たら毎日 働きもせず散歩ばかりしてる 変な人デス
ある日 散歩の途中に運送会社をみつけました
日曜日にその会社の前を通ると薄汚い4tトラックが数台停まってました
片隅に事務所か物置かわからないような小さな建物もありました
巨大な佐川急便に長くいたせいか 世の中にこんな哀れな運送会社で働く奴なんているのか?
ここまで落ちぶれたくないね〜
私は本気でそう思っていたんです
今の自分は無職の散歩おじさんなのに!
佐川急便を辞め 随分たつのにプライドだけ高い哀れな奴ですな
かみさんと散歩途中 この会社の前を通りました
「ここ 募集してるよ 働いてみたら?」
「もう お金ないよ」
とんでもないことを言い出しました
このオレ様がこんな薄汚い小さな運送会社で働けるか!
本音ではそう思ってましたが 無職の手前そう強いことも言えません
「ま、そうだな」
「アルバイトのつもりで働くか」
「最近 ふとってきたしな」
「散歩も飽きたしな」
私はイヤイヤ電話を掛けて 面接を受けることになりました
佐川急便時代 5
まいど samoです
佐川急便に約12年お世話になり その間に結婚して子供も出来ました マンションも買いました
ただ わたしは身も心もボロボロでした
限界です
35歳になっていました
その頃の佐川急便は改革が始まっていました
いわゆるまともな運送会社に変身しようとしてました
給料も普通 休日も普通 仕事も普通
昔の人間にはついて行けません
今じゃ一部上場の大企業です
入れ墨 暴走族上がり
やんちゃな感じはなくなりましたね
法律守ってます! そんな感じです
わたしは疲れきっていました
身体が動きません 疲れが溜まって抜けないのです
ある日 店長に退職を報告しました
給料の高いベテランが辞めるのが嬉しくて仕方がない様子 笑顔が隠せません
自分の成績 上がりますからね!
最後の日 みんなと握手 出口で一礼
少しだけ涙がでました
佐川急便時代 4
まいど samoです
明けましておめでとうございます
新年を迎え大変めでたいのですがわたしは風邪をひいてしまいました
なん年ぶりかの風邪です 辛いですがあの日に比べたら全然ましです 今回は風邪のお話です
年末はどこの運送会社も忙しいと思いますが佐川急便も忙しいです 地獄ですな
わたしはある年の年末に風邪をひいてしまったんです
休むなんてありえません みんなの顔色がわるいんです
とても言えません
年末の忙しさで体力がなくなる→風邪をひいて熱が出る→それでもやるから倒れる
こんな感じです
熱があるのが自分でもわかります 身体は震えてきました それでも配達です するとどうなるか
意識が飛びます
生まれて初めての経験です!
それでも頭を振りながら配達再開です!
小学生の頃 全校生徒の前で校長先生のお話の最中に倒れる人がいましたよね その人の気持ちがよくわかります 人間の力じゃ無理ですな
その夜 正確には夜中ですが病院に行きました
そのまま入院してしまったのです
3日後 無事退院 出勤すると店長が「おめ〜が1番顔色がええのう」
笑いながら言ってくれました
現在の佐川急便は病気のときはやすめるんですかね?
運送業界も有給なんかあたりまえの業界にならなければならないと思います
みなさん風邪など引かないようにしましょう
佐川急便時代 3
まいど samoです
セールスドライバーになって1年程たち 私は事件を起こしてしまいます
定期の集荷先で宅急便のドライバーとケンカになってしまいます 走って逃げる相手を捕まえて殴る蹴るの暴行を働いてしまいます
もうなにがキッカケなのかも忘れてしまいましたが!
お客さんの通報でお巡りさんがやって来て交番へ連れて行かれます
会社に連絡され上司も呼ばれました
さすがにクビを覚悟しましたがその上司はニコニコしてます
店に帰って店長に報告です
すると店長もニコニコしてます 周りの先輩方もニコニコしてます
その夜 相手側に謝罪に行くことになり 店長いわく「寿司でももってけよ」
祝い事か!
わたしは一気にホッとしたことを覚えています
この時代の佐川急便はホーム上でいつも誰かがケンカをしてます 誰も止めません いつものことですからね みんな自分の積み込みで精一杯です 仲裁なんかしてる場合じゃないです
自分の配達てんこ盛りですから!
現在の佐川急便はどんな雰囲気なんでしょうか? 殺気だってやってますか?
それとも穏やかな雰囲気の中でやってますか?
わたしが在籍していたのは今から約30年前の話です
1990年代です バブルの時代が終わり 東京佐川急便事件が世間を騒がせていた頃です
殴ってしまった宅急便のドライバーさん 本当にすいませんでした 頑張るように励ましてくれたお巡りさん ありがとうございました
まだまだ続く
佐川急便時代 2
4tトラックに半年くらい乗り ついにセールスドライバーといわれる2トントラックに乗る事ができました
4tトラックのドライバーとなにがちがうのか?
まず 給料が全然違っています
セールスドライバーになるといきなり月給 88万円です 年収 1000万です
これは嬉しいです 新人でもベテランでも同じです
荷物を集める成績に追われます!
前年比で数字に表れます お客さんに荷物をたくさん出荷してもらわなけりゃいけません
もしくは新規営業して荷物を増やさなければいけません
配達 集荷は走ってやりますよ!
その最中に営業するのです!
こりゃキツイです みんなすぐ辞めて行きました だいたいその当時 平均勤続年数が2年と聞いたことがあります こんな会社にわたしは12年間お世話になる事になるのです